朝、起きたら母が言った。
「私は夢でさえも金持ちになったことがない。だってお金持ちになったことがないから、夢でも想像できないの。」
あら~、お母さん、夕べはどんな夢をみたのかしら。
「私は小学生の頃から働いていた。今なら児童虐待ね。」と母はよく言う。
今、私は朝のNHKBSで「おしん」を観ていますが、昭和初期に母が小学生の頃働いていたというのは、そこまで過酷ではなくて、「お小遣い稼ぎ」のような内職です。
母が生まれ育ったのは、愛知県の有松・鳴海地域。
そこで生産される絞り染めが「有松・鳴海絞り(ありまつ・なるみしぼり)」です。
母の家は決して豊かではなく、母は子供の頃から祖母と一緒にその下働きの内職をして、お小遣いを少しもらい、お菓子を買っていたそうです。
児童虐待というよりは、「いいな、子供のうちからお金が家で稼げて、技術も身について。」という程度ですが、母としては小さなうちから働かされることに疑問を感じていたようです。
母曰く「年金いただいて、食べることに困らないし、のんびり過ごせて、一生のうちで今が1番お金持ちかも。」
うん、もともと贅沢する習慣もないしね。
「今が1番いい」・・・とまではいかなくても、母の幸せそうな姿は介護している私も「介護する幸せ」を感じられます。
でも母は「私が母を介護している」という認識が全くなく「え?アンタ誰の介護をしているの?」と言ってのける(笑)
母にしたら、私は一緒に住んでいるだけ・・・という存在らしいです😅
ちなみに私は今朝方、二本立てで夢をみました。
どちらも「良い夢」ではなかった。
ひとつは「学校に行かなくてはならないのに、制服がみつからない夢。」
押入れをひっかきまわして探すのですが、みつからない。もしかしたら捨てちゃったかも。どうしよう!学校に行けない!
この夢は実生活でせっせと捨て活している影響かしら?
もうひとつの夢。
「試合の会場にどうしてもたどりつけない。歩いても歩いても会場につかない。あぁ、試合が始まる時間になってしまった!」
なんの試合かは謎。
どうも剣道らしい。
私の長男は小学生から大学生まで(時々休んでいた時期はあったものの)剣道をしていた有段者です。
でも私は剣道はもちろん、運動らしい運動はしたことありません。
どうしてこんな夢をみたのでしょうねぇ。
私はこういった「焦る夢」をよくみます。
一時期よくみたのが「体操服がみつからない、もしくは忘れた夢」
学生時代、体育は必修科目で1年生に割り当てられていました。
1週間に1時間あり、3回欠席すると単位を落とす・・・という規定があり、当然単位を落とすと、翌年下級生とともに授業を受けなければなりません。体育に関しては厳しい大学って多いですよね。子供たちも学生時代に似たようなことを言っていました。
なので必死でした。
学校指定のジャージもあり、そのベージュに茶色のラインが入ったダサい田舎くさいジャージを探す夢を卒業して何年もたつのにみていました。
よほどのトラウマだったんでしょうねぇ(笑)
現実には、ちゃんと1度も欠席することなく、ストレートで単位もらいましたよ✌
お独り様ランチ・・・というかブランチ。
母が最近食欲が落ちて、「朝ごはんはバナナとコーヒーだけでいい。」と言うので、私は母をディに送りだした後に、ゆっくりごはん支度をしてちゃんとした和食の朝食を久しぶりに食べました。
母はごはんの後チョコレートを食べてディに行った。
あら、食欲あるじゃん(笑)